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 八雲に呼吸リハの為に転院して、元気回復して講演会が開催されました。
 
10日は、病院作業療法室で講演会です。10,11日は、NHKエジュケーショナルも放送大学の看護学生の教材を撮りに来るので、インタビューしてもらいまし
た。
榊枝さんは
「命からがらここまで連れてきてもらってね、今、生きてるってすばらしいって思うようになったんだ。」
 八雲病院ではほとんどの方が日中は病棟にいなく、様々な活動自主的にをしています。車椅子への呼吸器の搭載方法も理学療法士の工夫によるものでしょうか?
 
放送大学の撮影の様子。
 
■榊枝さんらによりシンポジウムが開催されます。
 シンポジウム
『筋ジストロフィー者の今後の生活に向けて ~先輩からの提言~』
日時;2009年9月24日(木) 14:00~15:00
シンポジスト;日本筋ジストロフィー協会 本部理事 榊枝清吉氏
       日本筋ジストロフィー協会 北海道支部長 竹田保氏
場所;国立病院機構 八雲病院
 
 
八雲病院に呼吸のリハの為に転院した事が講演会で語られています。
 「3人同じ考えの人が集まれば、あとは、それがいいってことになったら、やるんだ。当たって砕けろみたいな気持ちでやるんだな。それから、大変なこと、難しいことほど、闘志がわく。やる気というか、ファイトが沸いてくるんだな」と
八雲の人達に胸の内を伝えたそうです。
動画の全部をご覧頂には会員用ページからお入り下さい
講演を終えての感想として 
『今の筋ジストロフィー患者さんには、働いて僅かな金額でも稼ぐ体験とかが必要だね
学校での早い時期からそのような教育が必要だ』と感想を話しています。 
 
■いよいよ10月1日40日の八雲での呼吸リハでNPPVを習得して、西多賀病院に奇跡の生還です。
 
迎えに行った本部長らと喜びの再会、RSTメンバーと嬉しい記念のカットです。将来この写真が西多賀で語り継がれ、日本の筋ジス病棟のあり方を考え実践してくれるでしょう

榊枝さん、凱旋です。西多賀でみんなで皆で喜びを分かち合いたいですね。
   
朝8時の函館発スーパー白鳥で仙台に向かっています。帰りは全く痰もなく、朝食も全部たべ、久々のネクタイして背広です。 NPPVは睡眠時のみ、酸素も加湿も外れ凄い回復ぶりです。素晴らしい笑顔で新幹線を乗り継ぎ駅弁も完食です。 8月21日の八雲病院入りする時は、無事に着けるか不安の車中でした。到着と同時にカフアシストにより排痰次から次と出る痰を吸引チューブをくわえてのベット入りでした。 「命からがらここまで連れてきてもらっと後で語っています」
 
■いざ西多賀病院へ奇跡の凱旋です。
 
 
 ■西多賀病院の歴代の院長の写真の前で、石川先生とNPPV療法とケア医療の事について、熱く語られ西多賀でしっかり受け止めて頂けました。
  榊枝さんが、昨日退院前に、院長にこんなことを言ったそうです。「石川ゆか先生に会わなかったら、あのまま死んでしまったと思う」と。あとから聞いたので、じんときます。先程の、西多賀でのほっとした顔が、何よりのご褒美です。
 
■第一会議室で石川先生、竹内看護師から車座で八雲の技術を伝授されました。
 
 西多賀病院では、八雲病院へ呼吸リハで転院してNPPV療法を、榊枝さんをモデルケースに、人工呼吸器導入の方法について、八雲病院での経過なども交えてご意見交換が、西多賀病院の看護師・理学療法師・ME等と関連スタッフに石川先生と竹内看護師と、実技指導もありました。

 全国的に知られる八雲病院の最高のレベルを学べつ 絶好の機会を榊枝さんは八雲病院から津軽海峡を越えて西多賀に届けるチャンスを同時に運んで来ました

早朝5時頃の八雲病院での準備であり、600kmの長旅でしたので、引継ぎの時間としてそう長くない時間を準備され、車座になってカフアシストとか、西多賀では使用されていない、鼻プラグインターフェイスの装着も実際に行いました。
 
 
 
■夜に西多賀の神経内科医全員と懇親会をして、石川先生は千歳にトンボ帰り、竹内看護師は翌日東京の呼吸の学会発表で西多賀をさり、遠くから見守って頂ける約束をしました。 
土曜には石川先生は、東京に飛び熱いエールを頂きました。

 先週末の東京呼吸の会では”NPPVの限界”と簡単に言っていました。
しかし、私達にとって、NPPVは、まだまだ奥が深いと思うし、向上していきたいと思っています。もっと、先生達にも、患者さんたちにも、NPPVの技術(インターフェイスの選択、付け方、人工呼吸器の種類、条件など)に、関心を高めていただきたいですね。簡単に”限界”なんて、言えません。榊枝さんも、賛同してくださいますよね。

皆さんののおかげで、今野先生からも、大変丁寧な御礼のメールと、今後のさらなる交流を申し出ていただきました。今野先生の姿勢を若い先生方が学んで、西多賀病院が発信基地になれば、ありがたいです。
 
 
 
 
 ■此処まで回復されるまでに色々な事がありました。
 一時は肺高血圧を回避するために、フラッシュまで酸素を使い加湿器・バッテリーと酸素ボンベまで背負い車椅子で日中と夜間24時間NPPVにより肺高血圧治療が行われました。一時は挿管も必要と思われる程でしたが、石川先生のウルトラCとRSTメンバーと病棟スタッフにより少しずつ改善されていきました。
日々の様子が竹内看護師により、西多賀に届けられました。詳しい事は会員用ページからご覧下さい。
 
 日中のフロアーホッケーの観戦と、八雲用語学校の中庭で初めて鼻プラグ装着の様子
 
 
 
 



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