FSHD患者の本田充です。
まだ直接のご挨拶をさせて頂いていない方々には、メールにて失礼致します。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
目標などに関しまして、自分自身の意見を申し上げていませんでしたので、こちらにて失礼します。
わざわざ僕が言い改める必要もないかと思いますが、皆様が議論して頂きました大事な目標全てに通じる最終目標は、「FSHD患者のQOL向上」です。
皆さんのご指摘の通りで、常に「患者のためになるか」、あるいは「不利益に思う患者がいないか」という視点は意識せねばならないと思います。
また、せっかくこのような会が発足したので、患者の立場から一つやりたいことがあります。
以下少し長いので、休憩がてらにでもごらん下さればと思います
FSHDは、あえて言うなら、半分は心の病気だと思っています。
じわじわと時・場所を変えながら、筋肉を侵す病ですが、そこで失うのは筋肉ばかりでなく、今まで当たり前に出来ていたこと、です。
自分をはじめ多くの患者さんは、10代から発症していきます。
10代といえば、むしろ色々なことができそう、と自分で夢を膨らませ、挑戦できる時期でもあります。
そんな中で、FSHD患者は、「出来なくなる」不安を抱えて過ごすことを強いられます。
自分もそのせいで、何事にも消極的となり、もっと言えば健常者への嫉妬さえ生まれてしまいました。
「ちょっとずつ出来なくなっていく」、「出来るには出来るけど、中途半端にしか出来ないことが色々ある」というFSHDならではの病態がもたらす結果ともいえます。
「せっかくFSHDという珍しい疾患に生まれたのだから、楽しまなければ」
そんな発想の転換にいたったのも、結局10年ほどかかってのことでした。
きっかけは、大学3年で東南アジアを旅した時でした。
ラオスの山奥の村へ船で着き、川から上陸しなければならなかったのですが、村へは普通の人でも登るのがきつい崖を登らなくてはいけませんでした。
困っていると、村人達が自分のことを担ぎ上げ、お祭り騒ぎのようにはやしたてながら上まで連れていってくれました。
このときから、「実は何とでもなるのでは」という思考が働き始めました。
そして、この不思議なシチュエーションは、病気だからこそ味わえたのだ、と気づいたのです。
この感覚をきちんと確かめたく(科学の言葉で言うなら再現性ですね)、また、歩けるうちに色々な世界を見ておきたい、という気持ちが高まり、結局、8ヵ月半にわたる世界一周の放浪旅に出るにいたりました。
FSHDでなかったら、きっとしていなかったことです。
もちろん、再現性に関しては、多くのN数と確かな有意性を持って示されました。
障害ゆえの困難が、一味違う経験とコミュニケーションの機会を何度となく生み出したのです。
思えば趣味であるギターも、FSHD発症のサインでもあった、バイオリンが弾けなくなったことで、何か別のことをしようと思って始めたものでした。
そして今は、どうやったらFSHDの基礎研究が出来るかを模索する中で、皆様含め、色々な先生方とお話させて頂き、また研究に限らず様々な出会いがあり、これもまたFSHDだからこそ、であると感じています。
ひとは皆やりたい事をたくさん抱えていながら、日々の生活におされ、何となく忘れてしまっていることも多いと思います。
FSHDは、「出来なくなる」病気ですが、見方を変えれば、出来るうちに「挑戦するきっかけ」を与えてくれる病気で、その意味において、生きる上で大切なことを意識させてくれる、大きなメリットがあるものと思います。
そして、「出来なくなった」あとにも、また別の「出来ること」がきっとあり、それが更に視野を広げる「きっかけ」になります。
なのでFSHDの患者会をやるからには、自分よりも若いFSHD患者達を少しでも多く集め、この自分が10年かかって気付いたことに、出来る限り早く気付いてもらいたいのです。
何が出来るか、という具体案はまだないのですが、皆様のアイディアも頂きながら、このことを何とか伝えていきたいです。
僕自身は、複数のことを同時に処理・思考ことのが苦手なタイプで参っているのですが、フットワークの軽さだけは少々自信があります。
この能力を生かして、この会の発展にお役に立てればと思っております。
皆様どうぞご協力お願いいたします。
本田充
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