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NPPV(非侵襲的陽圧換気療法)ネットワーク支援の為の国内組織の構築を願う。
 
 気管切開を塞ぎ、NPPV療法への変更の体験報告
 
気管切開孔を塞げ、“NPPVネットワーク支援構築”を願う
福島県八代
初めに

 2007年の11月頃から、慢性的な風邪と思われる体調不良が続き、近隣のクリニックを受診するが、特別な処置等はなく、仕事の忙しさかまけて時間が過ぎて行きました。このことは、私の人生にとって大きな分岐点でもありました。

 実は私は中学2年の時に顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー(FSH)といわれ、以来40数年の筋ジスとの付合いでもありました。寒い冬の2月に筋ジス専門病院に電話で相談し、翌日にはベットを空けて貰い、直ぐに入院する手はずをとって貰いました。

それは“CO2ナルコーシス”から始まりました

入院して安心したのか?夕食を食べて家族が帰宅すると直ぐに、意識がなくなってしまいました。これは、CO2ナルコーシスと云って呼吸を休む様に脳が命令したのです。呼吸の排気が弱く二酸化炭素ガスCO2を換気出来ない事です。呼吸に対する不安は同病の方と随分学習していましたが、人工呼吸器に対しては本能的な拒絶があった様です。医師の懸命なる処置にも気管挿管から、抜管するには到らず2週間後には、命を救いたい家族の悲願で気管切管する事になりました。気管切開後の暫くは、自分のおかれた状況を直ぐには理解できず、夜間の悪夢と呼吸器のアラームと吸引が続きました。気管切開して暫くの間言葉はありませんでしたが、体調も安定した。無我夢中だったと思いますが口から軟らかい物は食べられ、パソコンを使えるまでに回復しました。この頃に事の重大さに始めて気がついた様な気がします。

退院へ向けての準備
  病棟スタッフらの支援により、在宅移行への準備が進められましたが、自宅での吸引という一つの高いハードルがあった事は云うまでもありません。半年後には、福祉制度を全く利用した経験がない中での、医療と福祉の”よちよち”歩きの連携での在宅生活が始まりました。これには、在宅で気管切開して人工呼吸器を使用している人達の、大きな後押しがありました。退院し慣れない呼吸器の生活で肺炎になりましたが、呼吸器を背負って、徐々に会社に復帰する事が出来ました。カニューレを装着しての呼吸管理と、痰のコントロートルに周辺の人達は緊張の連続だったと思いました。
 
 呼吸リハビリティーション市民公開講座から
 昨年の10月に厚生労働省筋ジス神野研究班の呼吸リハビリティーション市民公開講座が仙台で開催される案内を受け、藁を掴む思いで研修会に参加しました。会場では、呼吸器ユーザーの出席である事で、電源から吸引器とカテーテルまで準備して頂き心地よい講演会を聞かせて貰いました。欧米とかヨーロッパでは10年も前に気管切開しない気道クリアランス確保に関するガイドラインがでている事などを、正面で聞いている気管切開している私にとってはショックでした。しかし折角のチャンスでもあるので、講師の石川悠加先生に、帰りの飛行機の時間を気にする中で、自分と呼吸器の付合い方、痰のコントロール加温加湿器の設定などを質問しました。頭の奥には自分は”まだまだ”人工呼吸器は必要ないと思っていたので、講演の中でのNPPV(非侵襲的陽圧換気療法)は大変興味のある内容でした。”TPPV”一字違いの”NとT”QOLがこれほど異なるのか?ならば呼吸法をNPPVに変更出来ないだろうかと質問をし丁寧な説明してもらい、ご飯が食べられて発声が出来れば肺活量が少なくても、検証してみる可能性もあることをその場で知りました。
 
 国立病院機構八雲病院へと
 自宅に帰り悶々とする中で、筋ジス協会のML”夢の扉”のアドバイス等を受けて、何度か八雲病院の石川先生とメールで相談して、急転直下で津軽海峡を越える決心をしました。主治医と在宅の往診医からの紹介状を頂くまでは多くの時間を必要としなかったのは幸運だったと思います。12月8日には800Kmの時空を超えて八雲入をする事が出来ました。
 
 ケア医療の質の高さに驚き
 ベットに上がるや否や、持参したノートパソコンのネットワークへの接続をして貰い、水を得たり魚の様に八雲での夜は更けていきました。翌日には病棟の案内を受けて、基礎的な検査が始まりました。驚きはカニューレを装置したままでの、手慣れた看護師の手により数年ぶりの大浴槽での全身浴をする事が出来ました。当然毎日の朝のトイレはマンパワーによる介助で安心して病棟生活が始まりました。病棟内、鼻マスクだけでは無く鼻プラグ、マウスピースを付けて電動車椅子が往来し、ケア医療の質の高さを感じました。
 不安の中で気管チューブの変更を!!
 普通は鼻マスク呼吸器から気管切開へと進むと思いますが、逆のケースなので少し説明します。

3日後には内筒付有窓カニューレに交換して、夜は気管切開部に呼吸器を接続し、日中はカニューレに蓋をして、鼻マスクから呼吸器へ接続をして、排痰の機能、咳の力、呼吸機能を確実に検証していきました。夜はさすがに慣れない複雑な構造のカニューレのせいか、痰が詰まり不安な夜を過ごしました。その後一挙に気管チューブを抜管してNPPV慮法の本格的な開始となりましたが、切開部からの空気漏れには苦しみましが、懸命なRSTスタッフ(呼吸サポートチーム)の対応により改善されました。気管切開の人工呼吸での快適性に慣れているので、鼻マスクどうしても合わず、インターフェスを鼻プラグに変更し、呼吸モードの変更・設定等を夜間に繰返しました。切開部の肉芽に最終的に苦労しましたが、急速に切開孔は塞がっていき、NPPVを受け入れていきました。

 
 呼吸器と吸引器とを持参しないでの外出
 10日目には外出も許され2年目にして始めて呼吸器と吸引器とを持参しないで八雲町の牧場高地から内浦湾(噴火湾)楽しむ事が出来ました。退院の前日に悲しいお別れが病棟でありましたが、八雲養護学校での交流等も出来て大変よかったです。クリスマスの函館の夜を楽しみ福島に戻りました。1月には近くの総合病院の耳鼻科で切開部を塞ぐ手術を受けましたが、親指程の切開に4人の医師がうれしい手術といって縫合してくれました。その後紹介状を出してもらった西多賀病院で呼吸器の調整確認のための検査入院をして、この気管切開に別れをしました。
 
 NPPV(非侵襲的陽圧換気療法)の正しい広がりを期待して
 3月の始めには、八雲病院でお世話になった先生方と仙台で再会する事が出来ました。この2年間で気管切開からNPPVへの変更にあたり、お世話になった多くの方と、東北一の歓楽街の国分町を楽しむ事が出来ました。まだまだNPPVの入口で、難しい問題がありそうですが、呼吸で困っている人、自分の呼吸機能を知らずにいる人等に、このNPPV療法が広く正確に伝わっていく様に強力な“NPPVネットワーク支援”を願う今日この頃です。
 
 
 
 
 
 医学書・医学雑誌出版社
(株)日本プランニングセンター
月刊雑誌「難病と在宅ケア」77月号に掲載
http://www.jpci.jp
 

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