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 ポストポリオと呼吸器
 
東京から気管挿菅のまま飛行機で転院し、気管切開を避けて
“NPPVへの移行体験
中西由起子
はじまり
ここ数年側等が気になり始め、かつ呼吸量も以前より減少したことは自覚していた。米国のポリオの友人たちが相次いで呼吸器使用者となったのを見るにつけ、私もいずれかは使った方がいいのだろうと漠然と考えていた。筋ジスの友人などからどの病院がいいのかという情報を集めたり、それなりの準備をしていたっもりだった。
昨年9月26日に、海外の仕事帰りの疲労から風邪そして咳がとまらないという症状がでてとりあえず近くの病院に入院するつもりが入院途中から徐々に意識が薄れ、自分で集めた知識を使えないままあわてた医師に酸素吸入を施された結果、その直後に呼吸停止となり、立川の国立災害医療センターに運び込まれた。
 
治療の経緯
  気がつくとICUのベッドに寝ていて、喉には挿管された管と経管栄養の管とが通され、全く発語ができなかった。体力もないので胃に栄養液が流されると発熱し、ずっと同じ位置で寝ているため体は痛み、血栓予防の電気靴下を屡かされても両足は象の足のようにむくみ始めた。一時呼吸マスクの準備もなく体力のない状態で抜管されたため、再挿管となった。気管切開して呼吸器を使用する以外ICUを出る方法がないとする医師団に対して、夫は障害者の友人たちから情報を集めて切開を要しない非侵襲的人工呼吸療法(NPPV)に辿り着き、その普及のためにちょうど講演旅行中のニュージャージー大学のバック医師や国立病院機構八雲病院石川悠加医師の助言を得てNPPVの使用を強く主張した。両者の意見は折り合わないまま、これ以上装着していたら筋肉との癒着を起こすという直前に、八雲病院での受け入れが決まり、ストレッチャーで飛行機に乗り9時間ほどかけてやっと到着した。入院から18日目のことだった。鏡でしか見られなかった外の冷たい空気に触れた時には本当にうれしかった。
  立川の病院は救急医療においては看護師に至るまで、これぞプロだと感心するほどの高い医療レベルを保っていたが、NPPVの知識はなかった。ICUに入っているため一切外部との連絡が取れなかったので、毎日の吸引による苦しい排疾から逃れるためにも切開を受けいれるより他ないと決心するほどに最後には追い詰められていた。都内でのNPPV実践は限られ空きベッドを見つられなかったので、夫の奔走で結局は日本でのNPPVのトップをいく八雲病院に入院し呼吸器をつけられたのは本当に幸運であった。
 八雲では入院翌日無事抜管し、NPPVの練習を始めた。カファシストを使用すれば疾はすぐとれるし、東京での苦しさがうそのようであった。約4週間にわたり使っていなかった声は初めは小さくかすれ、耳を近づけれぼやっと聞こえるほどでしかなかったが、入院中にある程度話せるまでに回復した。同様に、4週間ぶりに食べるという作業にも取り組み普通食でもどうにか食べられたが、食後の消化が終わるまでの発熱が苦しく、途中から消化しやすいミキサー食に変え、補助のために高カロリー栄養剤テルミールを飲んでいた。
しかし発熱は治まらず、自宅に戻るまで一日3回の食事と消化は大仕事という状態が続いた。
 呼吸器として車いすの後ろに背負えかつバッテリーで4時間は動くというレジェンドェアーを紹介され、食後の体温発散を兼ねてよく呼吸器を背負って病院の周りを散歩した。鼻穴に装着するだけのマスクは違和感なく使用でき、テレビを楽しんだりウェブに近況報告を出すまでに、生きる意欲が蘇ってきた。外には雪虫が飛び交い始め、あと一週間もすれば初雪が降ると言われたのを期に、在宅での暮らしを準備するために10月末に東京の病院に移ることにした。
  東京・府中の都立神経病院にはパーキンソン病やALSなどどんどん重度化していく高齢者が多く、養護学校が併設され筋ジスの若者が元気に動き回っていた八雲とは全く異なり、同室の人と会話はままならず、おとなしく患者が管理されている雰囲気を感じた。病院の方針で顔の中央を覆う鼻マスクしか許可されず、食事をしてもトレイの中に並ぶ食器が半分も見えないほどに視野が制限された状態ではインターネットはおろかテレビを見る意欲も失せてしまった。
 空いた個室に移り、友人の一人がたまたま呼吸療法士の資格をもっていたため、休日に訪ねてきてくれる度にアドバイスをもらったり、回復状況をチェックしてもらいながら少しずつ生きる意欲を回復させていった。そして、11月中旬には退院したいと希望して、夫が病院の地域医療支援室と交渉して退院の準備を始めていった。だんだんと病状が悪化していく患者を主として診ているために慎重な態度しかとらない医師たち対して、自分からマスクの変更、酸素の使用中止、夜間のみの呼吸器の使用、ミキサー食から普通食への切り替え、呼吸器の全面的使用中止などさまざまな提案を行ったが、結局呼吸器の夜間使用のみが退院時までに許可されたにすぎなかった。患者の身では病院側のやり方に反対して意思を貫くことは難しく、かつそれほどの体力もまだなかったので、事が起こる度に夫が駆けつけ代わりに解決してくれることもしばしばであった。
 自宅での生活
 退院の許可がなかなか下りず、できればもう一月様子をみたいという病院側を振り切り、11月末に自宅に戻ってきた。初めは少々慎重に病院と同様な生活をしていたが、すぐに体力にも自信がつき、仕事も再開し始めた。現在は関係箇所での再デビューもほとんど終わり、夜間の呼吸器使用と介助時間が増えたこと以外は以前と全く同様、というよりむしろさらにレベルが上がった生活が可能となっている。
 夢のように慌ただしく過ぎた半年であったが、良い友人や家族に恵まれ、さらに障害者間のネットワークがあったため、毎日八雲や府中で介助者を見つけることや、最新の呼吸療法を受けること、患者ではなく一障害者のとしての暮らしを確保することなどが可能となった。また立川、八雲、府中において良い人たちとの出会いがあったからこそ今の自分にもどれたのだと思って、感謝している
 これから呼吸器を使おうと考えている方たちへ
 呼吸機能は急激に衰えるわけではないので、呼吸量が減ってきてもぎりぎりまでつい頑張ってしまいがちである。「備えあれば憂いなし」と言われるように、そのためアドバイスできることは、
 ①主治医がいる場合には、肺活量、血中酸素濃度、残留二酸化炭素濃度などを測ってもらい、必要に応じて呼吸の専門医に紹介しておいてもらう。
 ②NPPVであるなら、呼吸器をつけること自体が簡単に生活の質を高める手段であるので、状態が悪化しない前に恐れずに、装着の方向で準備を始めておいた方がよい。夜間のみの使用で現在の呼吸機能が維持できる場合も多いので、そうなると生活状況に ほとんど差を生じさせずに暮らしていくことができる。
 ③呼吸器の装着によって介助が必要になる、もしくは介助量が増える場合に備えて、どのようなサービスの利用が可能かを市役所などの公的機関に、どのように使ったらいいのかを自立生活センターに質問しておいた方がよい。
 ④大半の医師は切関しての呼吸器の使用を勧めると思われるので、自呼吸ができている ポストポリオの人たちにとってはわざわざ切開するよりNPPVの方が適しているので、NPPVに関して自分でも勉強し医師と対等に話し合えるようにする。推薦文献としては、「JJNスペシャルNo.83 NPPV(非侵襲的陽庄換気療法)のすべて これからの人工 呼吸」(石川 悠加編、医学書院、2,730円)が初心者むきであろう。
 ⑤医療事故への対応から都立病院などは呼吸器管理に厳格な規則を適応している。ポストポリオの場合は一時呼吸器がはずれてもそれで生命が損なわれることはめったにないので、自己管理を大幅に認めてくれる病院にしておいた方が、患者ではなく障害者としての地域生活を送ることができる。
  マスクに慣れるまで時間がかかることもありますが、心配しないでチャレンジしてください。
 なお6月13・14日に函館で開催されるDPI日本会議総会においては、特別分科会「呼吸器と患者の権利」(14(日)13:30-16:00)が予定されていますので、興味がある方は是非ご参加ください。
 
 
 
 

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